というのはわたしの

話は戻るが、
開放的な空気が肌に合わない、身に馴染まない。
バカンスにリゾート地を訪れて解放感に浸るのは大変爽快だが、毎日が自宅公開解放というのはわたしの特性としてはノーサンキューだ。遠慮したい英國樓投資


リフォームの里の近隣の人で、同敷地内に親が子供夫婦に家を建てたところ、新妻さんは中から鍵をかけているという情報が姑のところまで流れてきていた。
鍵をかけたら、非難されるのか、、、。


姑は元気な頃、昼寝したりする時は玄関の鍵をかけていた。
それでも用事がある人は裏に回ってくる。
晩年は、玄関が閉まっていると裏に回ってくる人もいなくなったようだが。


交際好きな姑だったが、さすがに晩年は疲れてきたようだ貨櫃屋
ご近所や親戚にはいたって良い評判を得ていた。
わたしなら、そうならないだろう。
が、良い評価を得たいために、自分を押し殺すのは、わたしはしたくない。
好きでやっているならよいが。
自分を曲げてまで頑張る気はなし。
風土に合わない人間だ、、、と思われているかも知れない。
そういう風土が嫌な人はその地から出て行っている。
良いと思う人だけがやっている。
なので、皆んな同じような感覚、考えの人がより集まり残り、掻き乱されることはない。
それが嫌な人は、その地に住んでいない。
意思表示である。
江戸時代の封建社会ではないから、住所は自由に決めることが出来る。
土地の人は、住んでいない人のことは仲間外れにしているが、当たり前。
仲間に入りたくないから、出て行っているのだからAmway黑幕


わたしには閉ざされた人だけでコミュニティを形成する田舎暮らしは無理。
定年後、田舎暮らしに憧れる元都会人がいて移住するものの、人付き合いの難しさでギブアップする人もいる。
郷にいれば郷に従え、、、だが、新天地には従いきれない郷もある。
わたしは元々田舎の出身であるが、田舎とて時代の波を無視した地は若い人が定着できず自滅する恐れがある。


まあそういう距離感で接しているが、拒絶感を無言で放っている。
だが、地域のカラーは無視できない。
あの地を敬遠する理由はそれだけではないが。
もっと違う根因があると自己分析する。