でも減少させようとい

わたしは、口を開けば自慢と愚痴しかない。
なので、口を開かない。
そうすると、話す機会は失われ、表情筋は衰え、能面のような顔になる加拿大Stream A移民


愚痴は、日頃の不満や不快感を、自分の努力なしに、少しでも減少させようというもの。
この愚痴話に付き合ってくれる人はいない。
こころのゴミや鬱憤を押し付けられる相手が気の毒。
胸の中でつぶやくか、最強の友、自分の蝶ブログで発散する。
が、はっきり書きすぎると、自己嫌悪に陥るため、やんわりと。
なので、あースッキリした!という爽快感はさほど訪れない。
自主規制により不完全燃焼。


自慢話は、いつもどこでも沸々と湧き上がってくる。
だが、これこそ、こんな臭いがキツイ話ほどない中国外汇交易中心
ああまたか、また自慢?
と、周りは全く聞く耳を持たない。
しかたないから、TVでニュースを見ている孫に、「あ、このおじさん、ばあちゃんの中学時代の、卓球部で一個後輩やったんよ」と、自慢する。
何度も画面に出てくると、ほらほら!と、何度も自慢する。
関係ない話もついでにしたりして、孫はもう聞いていない。
この話、孫を使って、じつはここ、ブログで自慢している。
自慢したくて仕方ないようだ。


そもそも何故自慢したくなるのか。
自分の手柄でもない、自分のことでもないことを。
自分のことだったとしても、「⚪︎⚪︎に行った」だとか、過去の出来事自慢。
自慢ではない話はないのか?


全く関係ない話は、これまた興味がないと聞く側は退屈この上ない。
共通点があると、お互いにウィンウィン。
例えば、歴史上の隠されたエピソードだとか、聞いてためになるし、面白い。
個人的考察が入ると、奥行きも出る。
が、ピリッとアクセント程度ならスパイシーだが、延々とやると、人によっては、眠くなるだろうけれど。
社会の出来事や、仕事の解説なんかも興味深いmyob 教學
日常のたわいない話も楽しい。
だが、面と向かってわたしが人と話をしていた頃は、いったいどれぐらい前だったのだろう。
わたしは、めんどくさがりなので、わざわざ時間を作って人と会うのが億劫なのだ。