賑やかな時間を過ご

さて、秋晴れ。
揉みくちゃ京都の翌日、昨日は七五三。
近くの神社に孫の健康を祈願してお詣りした。
素晴らしいお天気に恵まれたにもかかわらず、参拝者はちらほら数組泌尿外科
あまり多くなかった。
うちのチームは、7人編成。
今回の主役は4番目、末っ子孫、3歳女児。
じいちゃんは、ゴルフで(初めての)欠席だったが、宮司さん(たぶん、わたしの長男の同級生のお父さん)に祝詞をあげてもらった後、お祝膳の席を設けた。
豆腐を中心にした懐石料理だったが、上から3番目孫(女児)は、スパゲッティが良かったと、不満顔。
毎週毎週、習い事の後に欠かさず行っているという、鎌◯パスタが大のお気に入り。
だが、懐石膳は結構、値が張り、お財布に全然優しくなかった脫毛 學生
(鎌◯パスタだったら、お財布に優しかったけれど)
子供全員と両親、祖母(わたし)、皆んなでお祝いできて(気温上昇で暑かったが)賑やかな時間を過ごした。


ところで。
話はごろりと大転換。
ブログ記事下のポチっとする「いいね」を閉じた。
(「ブログ村エッセイ」ポチっとは継続中)
いつもお越しいただいていたことを励みにしていたのだが。
そのうちのお一人はブログ開設当時から??長年の暗黙のお付き合い。
いつも赤いアイコンを目にすると、ほっとする。
これは暗黙中の暗黙。
コメントはほとんどやり取りしないが、こころ丈夫である。
とは言え、別の他ブログでそのブロガーさんのアイコンを見かけると、少しだけ胸がキュンとする。
そりゃあそうだろう、あちこちブログ散歩はわたしもする。
当たり前だと思うのだが、何なんだろう?
煩悩の現れ?


しかし、いいね拍手欄を閉じて、いつも拍手してくださった方が来られなくなった時には、やはり覚悟していたが寂しい気持ちになる。
「無常」。同じ時間は存在しない。
時が推移すると必ず変化するのは理解、納得しているものの、現実に直面するとまた失望したり落胆したりする。


元気の源になっていたのだが。
目に見えるかたちで、認識するとガッカリするMediLASE價錢
お手入れに余念がない、美しい髪をバッサリ切った女性の気持ちに通じるものがある?
と、また大袈裟な。
ではあるが、気持ちとしては、一つ手に入れたら、その代わりに失うものがあるということ。
ご愛読、ありがとうございました。


と、それはいいとして。
またまた、閲覧数がジェットコースターになっている。
もう〜。
機械(コンピュータ)が壊れているのか。
AIの設定基準を変更したのか?
はたまた断末魔の叫びか?
わたしは、まだまだブログをひっそり細々続けるつもりなので、コンピュータのブレには巻き込まれないつもりだ。
振り回されずに、平常心を保ちたい。
(と、またまた大袈裟な、、、)
繁盛店ではない、静かな個人店(ブログ)が落ち着く。