何度も何度も探した

ダンスウエアのショルダー部分から下着のストラップがズレて見えないように、固定するための工夫をしようとした。
針と糸で、チクチクお裁縫。


前回、1着目、初めてその作業をすることになった時、材料(極小サイズのスナップと、綿テープ)をアマ◯ンで取り寄せた香港加拿大移民
今回は2回目。2着目。
さて、作業に取り掛かろう、と、材料を探すと綿テープはすぐ見つかったが、スナップ(透明ビニール袋入り)が見つからない。
裁縫箱だけでなく、裁縫箱周辺や、裁縫グッズを入れている箱、手作りキット入れなど、何度も何度も探した。
前回、作業したのは去年の夏。
半年も経っていない。
失くすはずがない。
必死で探したが、スナップはない。
メガネもかけて、気合いを入れて探し直す。
あああ、、、なんで探せないの?どこ行った?見つからない、、、なんで、なんで??
目も悪くなり、注意力も減退、根気もなくなっている香港永居申請
アマ◯ンのアイコン、ニコニコマークが頭をよぎる。
再度、注文する?
それしか方法はない。
しかし、小さい細かい安い発注になる。
でも無いのだから、、、
諦めかけた。


ではあるものの、昨年、夏に同じ所にあったものがないのは、おかしい。 
しかも、ピンポイントの置き場所。
わたし以外には誰も触らない。
最後の気力を振り絞って探した。
根気強く、執念で。
すると、3段になっている裁縫箱の引き出しの壁側(引き出し外側とケース内側の間)にペタっと引っ付いていた。
スナップが黄金色に輝いて見えた香港投資移民條件
(実際は銀色)


思わず声をかけてしまった。
「どこ行ってたの?
よく居てくれたね!」
感激の対面。
裁縫箱の見えない場所に貼り付いていたスナップに感謝。
さあ、今から裁縫、作業に取り掛かろう。
と、意気揚々とスタートしたが、スナップを探すのに手間取り、時間がかかり、今日の出発までの時間を圧縮し、気が焦る。
しかも、手先が不器用なのを再認識。
寒いから手がかじかんでいるせいもあるだろう、と、少し自己擁護したとしても、やはり不器用は否めない。
帰ってからゆっくり、続きをしよう、と、途中で放り投げ、出掛ける準備、次のルーティンに移った。

人の人が嘆いておられ

バス停での待ち時間。
2人の女性。
「最近、前みたいにチャッチャと物事が出来ないようになった。歳は取りたくないね」と1人の人が嘆いておられる。
先に自分の年齢を明かした女性に対して、さらにその4歳年長だという女性が気を悪くする。
「貴方の歳で、もう歳だからアカン、なんて言ってたら、ワタシなんかどうなるのよ!」
「4歳違うと、この年齢での4歳はえらく違うんよ!!」とムキになる活動場地租用
昭和14年生まれと、昭和10年生まれ。
84歳と88歳か。
母より少し若い。


うーーん、、、
やはり85歳の坂は、一つの区切りのようだ。
だが、84歳の女性が20歳の時に腎臓?を切り取った話をすると、途端に88歳の女性の声が優しくなった。
その後の病状や、今の状態など、興味深く(同情心を持ちながらとは思うが)聞いていた。
こんなに、ころっと変わるものなのか企業禮品


近所の女性にも、こういうタイプがいる。
あの人(共通の知人)、どうしてる?という話題で、健康状態が良好だとわかると、途端に落胆する。
病気や足腰が大変な状態だとわかると、安心するようだ。
他人の不幸は蜜の味。
わたしも、こうなるのだろうか。
心情のシェア、共感ではなく、どうも、自分より辛い状態の人を様子を知り、自分はそれよりマシだと安堵する。
同情するわけではない。気が軽くなるかんじか。
人間としてそれはわかる。
が、胸の中で思うのは全く自由だし、止めることも出来ないが、あからさまに外に出すと、あるいは、無意識に外に出ると、この人、どうなんだろう、、、と思ってしまう。
正直すぎる。
顔はにこやかでも、もっともっと腹黒の人はいるにしても。


喉に痰が詰まったから、道端に吐き捨てるようなものか。
だが、痰が詰まって死ぬほど苦しいのに、吐き出すなと言われても困る加拿大移民新政策


ところで。
脚本家の山田太一さんが亡くなった。
彼の脚本のTVドラマは観ていた。
車椅子の人に対しての、優しいメッセージが込められていたものもあったようだ。
困っている人は勇気を出して手助けを求め、求められる側は優しく手を差し伸べる。
当時の考え方、迷惑をかける、かけられる、の、新しい提案だったそうだ。
弱者に優しい社会を目指す発信だったとか。


人それぞれの余裕や我慢、許容の範囲、温度差をどう調整するか。
なんだか考えさせられた。


そして、蛇足ではあるが、
お元気な80代後半の人々の会話を聞いていると、
わたしはまだあと20年もある。
母世代の人々を見送ったので、その生を全うする大変さがしみじみわかる。
今度は見送られるのは自分の番だが、まだ20年もあるのかと複雑な心境になっている。

賑やかな時間を過ご

さて、秋晴れ。
揉みくちゃ京都の翌日、昨日は七五三。
近くの神社に孫の健康を祈願してお詣りした。
素晴らしいお天気に恵まれたにもかかわらず、参拝者はちらほら数組泌尿外科
あまり多くなかった。
うちのチームは、7人編成。
今回の主役は4番目、末っ子孫、3歳女児。
じいちゃんは、ゴルフで(初めての)欠席だったが、宮司さん(たぶん、わたしの長男の同級生のお父さん)に祝詞をあげてもらった後、お祝膳の席を設けた。
豆腐を中心にした懐石料理だったが、上から3番目孫(女児)は、スパゲッティが良かったと、不満顔。
毎週毎週、習い事の後に欠かさず行っているという、鎌◯パスタが大のお気に入り。
だが、懐石膳は結構、値が張り、お財布に全然優しくなかった脫毛 學生
(鎌◯パスタだったら、お財布に優しかったけれど)
子供全員と両親、祖母(わたし)、皆んなでお祝いできて(気温上昇で暑かったが)賑やかな時間を過ごした。


ところで。
話はごろりと大転換。
ブログ記事下のポチっとする「いいね」を閉じた。
(「ブログ村エッセイ」ポチっとは継続中)
いつもお越しいただいていたことを励みにしていたのだが。
そのうちのお一人はブログ開設当時から??長年の暗黙のお付き合い。
いつも赤いアイコンを目にすると、ほっとする。
これは暗黙中の暗黙。
コメントはほとんどやり取りしないが、こころ丈夫である。
とは言え、別の他ブログでそのブロガーさんのアイコンを見かけると、少しだけ胸がキュンとする。
そりゃあそうだろう、あちこちブログ散歩はわたしもする。
当たり前だと思うのだが、何なんだろう?
煩悩の現れ?


しかし、いいね拍手欄を閉じて、いつも拍手してくださった方が来られなくなった時には、やはり覚悟していたが寂しい気持ちになる。
「無常」。同じ時間は存在しない。
時が推移すると必ず変化するのは理解、納得しているものの、現実に直面するとまた失望したり落胆したりする。


元気の源になっていたのだが。
目に見えるかたちで、認識するとガッカリするMediLASE價錢
お手入れに余念がない、美しい髪をバッサリ切った女性の気持ちに通じるものがある?
と、また大袈裟な。
ではあるが、気持ちとしては、一つ手に入れたら、その代わりに失うものがあるということ。
ご愛読、ありがとうございました。


と、それはいいとして。
またまた、閲覧数がジェットコースターになっている。
もう〜。
機械(コンピュータ)が壊れているのか。
AIの設定基準を変更したのか?
はたまた断末魔の叫びか?
わたしは、まだまだブログをひっそり細々続けるつもりなので、コンピュータのブレには巻き込まれないつもりだ。
振り回されずに、平常心を保ちたい。
(と、またまた大袈裟な、、、)
繁盛店ではない、静かな個人店(ブログ)が落ち着く。