わたしの部屋にする

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同じく重いお尻、、、断捨離は、ほんの少しだけ動きがあって、気分爽快。

孫たちのオモチャで埋もれていた2部屋が新たに生き返った。

大きな紙ブロックとしてオモチャの一環にしていた、高々と部屋の隅に積み上げられていた空箱を一気に処分。

滑り台付きジャングルジムや、チャイルドガードみたいな柵も処分Botox。

ベビーカー2台も処分。

スッキリ。

代わりに、トランポリンが追加されたが。

まだ、段ボール紙製のキッズ・ミニキッチンや、煙突やドア、窓がある、大きな段ボール紙製のお家は残存中。


しかしたったのあれだけの処分で、あんなに爽快なら、もう少し手を付けたら、どんなに気分が爽やかになるか、、、

わかっているけど、やらない。


kids孫ルームは、将来のわたしのシニアルームになる產後收身。

今は、2階の息子の元部屋(ロフトがある、なぜか和室)をわたしの部屋として使っている。

が、2階に上がるのが大変になったら、kids孫ルームは、わたしが老人ホームに入るまでの、わたしの部屋にする。

ギリギリまでそこに居るつもり。

ベッドを置いたら、トイレもすぐだし、ヘルパーさんのお世話になりながら、最後まで使えると思う。

あくまでも希望しているだけだけど。

正に終の棲家。

このシミュレーションに、なぜか夫はいない。

どうなってるのか?

男性の平均寿命は女性より短いし、老人ホームには女性ばかりだし、地域の趣味の活動をしているのも女性がほとんど。

部屋まで具体的にイメージし、わたしの老後は想像できても、夫の老後が想像できない。

夫を世話している図が、アタマに浮かばないlong stay apartment hong kong。

なぜだろう?

避けたいことは無意識に脳の一部からどこかに押しやり、消し去っているのか?

急に突然、介護が始まるわけではないので、その手前に兆し、予兆があるはず。

今のところ、全くイメージ出来ない。

これは幸せなことなのか、まだ、年齢的にその段階に来ていないだけなのか。


姉の夫は、わたしの夫より5歳上で、後期高齢者に突入した先輩で、なんとなく、近い将来を知る身近な見本になる。

義兄も徐々に衰えているようだ。歳相応に。


配偶者を亡くした人がポツポツ出始めている。

趣味の仲間にも。

「趣味を持つこと」は生きる最後の砦になる。